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2012年2月12日 (日)

バックパッカー界の重鎮、Mさん

Cairo(カイロ)2日目の朝、僕は、宿を5階にあるVenice(ベニス)から、
2階にあるSultan(スルタン)に変えた。


別に不満があったからではなく、Mさんに会って、話を伺ってみたかったからだ。


また、受付を担当していたAbudo(アブド)が、とても好感の持てる青年で、
それに加えて、そこのドミトリーに宿泊している2人の日本人青年も、
いい感じだったこともあった。


1人は、東京外語大学の3年生IDくん。アラビア語を学びにやってきた。
大学を休学し、半年ほどCairo(カイロ)に滞在する予定だと言う。


もう一人は、31歳のIKさん。栃木県のゴルフ場で契約社員として
勤めている。毎年の契約更新の際に、3年間、お願いし続けて、
今年、ようやくその夢がかなって2週間の休みをもらいEgypt(エジプト)に
やってきたという。


受付のAbudo(アブド)は、Sultan Hotel(スルタンホテル)で働き始めて
まだ1ヶ月と言うことだったけれども、この業界の経験が豊富な青年で、
日本語も話すことができる。
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綺麗好きで、愛想もサービスも良く、部屋の掃除も、ベッドのメイキングも、
スタッフにきっちりと指導していた。


「安い、でも汚い」というSultan Hotel(スルタンホテル)のイメージを
「安い、でもきれい」に変えようと思っていると僕に話してくれた。


将来の夢は、両親の故郷、スーダンにホステルをオープンさせることだと言う。
ぜひ手伝いたいと思わせるような人柄だった。


日中、僕は、IDくんとVenice(ヴェニス)に宿泊しているYTさんと一緒に3人で
エジプト考古学博物館に出かけた。Cairo(カイロ)に来たら、ピラミッドと並んで
ぜひ観て行くようにと言われていた場所だ。


2階にツタンカーメンのマスクや宝飾品が展示されている。


博物館の展示自体は、量はあるものの、垢ぬけていない感じで、解説も、今一つだったように思う。
でも、ツタンカーメン関係の諸々は、一見の価値があると思った。


オフシーズンであることと、政情が不安定であることも相まって、博物館はとても空いていた。
ツタンカーメンのマスクの前に立って、心行くまで、じっくりと、マスクと向き合うことができた。


ちなみに、博物館内は、写真撮影は禁止だ。


さて、前振りが長くなってしまった。


考古学博物館から戻った僕は、午後、Mさんの部屋を訪れた。


ノックをすると、まだ寝ていたらしく、「ウオー、ハーッ」という
起きる掛け声と主に、「どうぞ」と言う声が、ドアの向こうから響いた。


Mさんは、Cairo(カイロ)の安宿の一室に住みつき、
Egypt(エジプト)在住が11年になる。


僕は、彼についてほとんど何も知らなかったのだけど、聞くところでは、
バックパッカー界の重鎮と呼ばれ、Egypt(エジプト)に関する情報を
知りたい人たちは、旅人のみならず、駐在員、ジャーナリストたちも
まずは彼のもとを訪れると言う。


ここエジプトでは、共同通信社の情報・記事提供のアルバイトをしながら、
糧をつないでいるとのことだった。


僕より、ひとつ年上の43才。埼玉県所沢市の出身だ。
マスコミ関係者との付き合いが多いと言うことだろうけど、そういう雰囲気と、
恰幅が良い体系と、ゴルゴ13のような目元と、早口の短文口調が印象的だった。


ここには、彼が10年以上にわたって集め続けた情報ノートというものがある。
インターネットがこれだけ流通する前は、旅人たちは、彼の情報ノートに
こぞって情報を提供し、彼の情報ノートにこぞって情報を求めた。


勝手にお邪魔をした僕に、Mさんは、
「まあ、そっちのベッドに座って、リラックスして何でも見て言って下さい」
と言って歓迎してくれた。


結局、いろいろ話が弾み、午後4時ごろから始まった“面会”は続き、夜8時ごろに
「夕飯、一緒にどうですか?」とCairo(カイロ)一番のコシャリのお店に案内して頂いた。
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その後も、話は弾み、夜はお手製の夜食の煮込みうどんまでご馳走になり、
深夜の1時まで彼の部屋でいろいろとお話を伺った。


「Cairo(カイロ)の最も面白い時期は、去年の革命がピークだったと思うんです。
それ以降のこの1年間は、自分の中でダラダラモードが続いていて…。


以前は、変化していくEgypt(エジプト)の変化を見届けてやろうと言う気概もあったのですが、
年齢のこともあるし、ビザが下りにくくなっていることもあるし、こういう生活も
そろそろ年貢の納め時かなと思っています」


「昔は、名の知れた有名なバックパッカーに出会い、そう言う人たちを観察することも
ひとつの楽しみでありました。


でも、今の私は、パックパッカーに何も期待をしていません。


彼らのモラルが低くなったと言うか、助け合いと言うか、貢献意欲が無くなったと言うか…。


もちろん、私との年齢差が出てきたこともあるのかもしれません。
以前のように積極的に関わりを求めなくなってしまいました。


若者も、いい年のおじさんからいろいろ言われたくないでしょうから」


「モラルに関して言うと、いろいろなものが無くなるんです。
本にしても、情報ノートのページにしても。


私は、いろいろ調達してきては、補給しているのですが。


インターネットの普及とモラルの低下は符合しているように思います。
2003年ぐらいから、明らかにそれが顕著になりました。


今は誰も宿の情報ノートに情報を記入しません。


一文にもならない情報ノートに情報を書くって、それだけで、
ものすごい奇特なことなんです。


そして、自分が苦労をした分、他の旅人にはそういう思いをさせたくないと言う
“利他の精神”“奉仕の精神”が無いと出来ないことなんです。


書くのに時間もものすごくかかりますし…。


でも、今の若いバックパッカーの子たちは、
平気でそのノートを破って持って行ってしまうんです。


それも、こうやって、この部屋でいろいろ話して、仲良くなって…。
そして、彼が去ったと同時に、ページが無くなったり、本が無くなったりしていく。


本当に、残念なことです」


「いまこの部屋を訪れて情報ノートを見る人を、塾員と呼んでいます。
ええ、私が主催するアモーレ塾です。


入塾料は無料です。


この部屋に来た人は、何でもいいから、自分がこの旅で得た情報をノートに書くことを
義務付けているんです。もちろん、そのことに賛否両論はあるのは知っています。


ただ、情報ノートって、書くのにものすごい時間と努力がいるんです。
見るのは簡単ですが。


だから、私は、自分も何かを書き遺すことで、そういう情報を残してくれた人たちへの
尊敬と感謝の念をしっかりと持ってほしいと思ってお願いしているんです」


「こう言うことをやり始めたきっかけですか?


実は、98年に世界一周チケットが出た時にそれを買って世界に出てみたんです。
その旅の後半、タイのバンコクでフィリピンに行きたいと思ってバックパッカー達にいろいろ
尋ねたのですが、誰も情報を持っていない。


いや、行けば、安宿ぐらいあるはずだと思って行ってみたんです。


案の定、安宿がなら是非あるから来てみないかと地元のおばさんと子供に誘われてタクシーに乗って、
子供に出されたお菓子を食べたら、それが睡眠薬入りで…


目覚めたら刑務所の中にいました。


道路脇に捨てられていたと言われました。


もちろん、持ち物は全部盗まれていました。
もし、水辺にでも捨てられていたら…、命は無かったですね。


怒りがこみ上げてきました。もし、情報があれば、とも思いました。


情報が無いのなら、だったら俺が情報を集めてやろう。
そういう図書館見たいな場所をつくってやろう。
そう思ったのがきっかけです」


ふらりと訪れた僕に、Mさんは、本当に親身に接してくれた。
旅の情報だけでなく、洋画や邦画、マンガなど、いろいろなソフトを
気前よく何でも提供してくれた。


もし帰国をしたら、実家の土地を使って、健全な食料を提供するための農業を営んでみたいとも
話してくれた。


でも、僕の勝手な思い込みかもしれないけど、Mさんは、どこかで、もっと熱く、
社会と人生の変化の中で生き続けたい人なのだと思った。自分の命の有効な使い方を
探し求めているのだけど、今のこの時点では、そう言う場所が見つからなくて、
今後の道を掴みあぐねているという憤り感が言葉の端々から伝わってきた。


自分のためにではなく、もっと大きなもののために生きることを心底願っている。


そう言う意味で、今の日本にとても少なくなった絶滅種に近い貴重な人なのかもしれない。


同世代の彼を通して、自分はどうかと振り返った。
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