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2011年9月15日 (木)

佐藤上人とPokhara(ポカラ)へ

Lumbini(ルンビニ)からPokhara(ポカラ)までは、車で6時間ぐらいかかる。


僕は、佐藤上人の運転する車の助手席に乗り、いろいろ話を伺った。


実は、僕はLumbini(ルンビニ)に来るまで日本山妙法寺の存在を知らなかった。


日本山妙法寺は、平和行進や仏舎利塔の建設などの平和運動を世界中で
展開している日蓮宗の一流派で、その活動は、日本国内でよりも、むしろ海外の方で
知られている。


原始仏教の戒律を尊重し、僧侶の妻帯は許さず、
出家者のみで構成されている。檀家も墓も持たない。


寺の経営は、純粋に信者さんからのお布施のみで賄われている。
でも、それを寺から信者さんに求めることは一切しない。
それは、お布施の原義に反すると考えるからだ。


本山と末寺などの組織も無く、日本国内はもとより、世界中にある寺院は、
純粋に独立採算制だ。と言っても、法華経の教えを実践すること一筋で、
商売っ気が皆無なので、どこのお寺も貧乏で、経営に四苦八苦している。


「どうして経営が回っているのか不思議でしょう?本当に不思議なんです。
お布施の経営、施す経営って言いますか…。


Lumbini(ルンビニ)の日本山妙法寺では、旅人に宿を提供しています。
その時に食事も提供しています。でも、一切、対価を頂いていません。


近くの韓国寺などでは、“お布施”として、一泊250ルピーと金額を決めている所も
ありますが、ここでは、お布施については、一切、言及していません。
もちろん、地球の歩き方にもそのような記載はしていません。


私たちの考えですが、“お布施”というのは、我々の方から言及してしまったら、
それは本質的な意義や意味を失ってしまうんです。


お布施は、あくまでも、本人の心の中に自然と湧きあがってきた気持ちの
結果でなければならないだろうと思っています。


今の若い人たちは、只で宿泊していく人がほとんどですが、それでも良いと思っています。


そうやって施していると…、


その功徳が別方向から回ってきて、
何とか、赤字にならずにやってこれているのです。いや本当に不思議なんです」


「世界のどこかで紛争、戦争が起こると聞けば、我々は、即、現地に飛んでいきます。
そして、最前線に飛び出し、太鼓を叩き、お題目を唱えます。


もともと、日本山妙法寺の僧侶は、イケイケと言うか、格好良い死に場所を
求めている人が多いんです。


我々は、対立するどちらの勢力にも肩入れすることはありません。
あくまでも非暴力を貫きながら、暴力が起こることを阻止するだけです。


ええ、私たちに出来ることは、前線に立ち、祈ることだけです。
もちろん、死ぬかもしれません。


だから、こういう活動は、仕事を持っていたり、家庭を持っていたら、
とても、出来ることではありませんよね…。


だから、それらは私たち日本山妙法寺の出家僧たちの役割なのだと
強く思っているのです」


詳しくは書かないけど、佐藤上人も、Nepal(ネパール)で政変が起こった時に、
最前線の王宮の前に座り、太鼓を叩き、お題目を唱えながら
命をかけて21日間の断食をしたそうだ。


「国家や民族同士の暴力の最前線で、何の力も持たない貧乏坊主が立つ。
そこに宗教的な意味があると信じています。


私たちがそこで何をするのかと言うと、断食をし、太鼓を叩き、
お題目の「南無妙法蓮華経」を唱えるだけです。


ある人が見たら、何の意味もないことをしているように映るかもしれません。
近代兵器の力によってただ命を吹き消されるだけに終わるかもしれません。
実際に、そういう残念な結果に終わってしまった例もたくさんあります。


でも、それでも、我々がそう動くことで、そこに人智を超えた
何か宗教的な力が働くこともある。


私たちは、それを信じて、平和運動に命をかけているのです。
それこそ、現代における僧侶が果たすべき真の役割だと考えているのです。


TJさん、もしお葬式だけが僧侶の仕事だとしたら、
これほど退屈な仕事って無いんじゃないでしょうか?


世界平和のために、いつでも、どこにでも飛びだして行く。
だからこその出家であり、それこそが日本山妙法寺の僧侶の役割だと思っています」


「今回の日本の災害について、真剣に考えます。


私は、今年の6月18日から7月30日にかけて、千葉県から福島県まで、日本の被災地の
海岸沿いを供養のために10人程度の仲間たちと歩きました。


太鼓を叩き、お題目を唱えながら、一日、20キロ以上歩きました。


現地は、想像していた以上に悲惨でした。
そして、東北の被災者の方々の心は、宗教心に溢れていました。


以来、なぜこのような大災害が、日本に、そして、東北に起こったのだろう。
もし今回の災害に宗教的な意味があるとしたら、それはいったい何だろうと考え続けています。


日本人が、この震災から世界に先駆けて受け取ったメッセージとは何なのか。
いまこそ、地球社会を変革するための行動を起こすべき時ではないのか。
そうしないと、間に合わないのではないか…。


私は、いま、そんな危機意識を持っています。
来年、日本を1年間かけて、太鼓を叩き、お題目を唱えながら歩くことを計画しています。
本来ならば、宗派を越えて、仏教の僧侶が一致団結出来たら良いのですが…」


「我々は、寺だけでなく、紛争の戦地でしばしば断食をします。


その目的と意味ですか?


それは、自らの命を交換条件に停戦を引きだすと言った“脅迫”なのではありません。
あくまでも、断食によって、自らの心身を研ぎ澄まし、平和を願う自らの祈りを
天に通じやすくするために行うのです」


「Lumbini(ルンビニ)から日本には、最低でも年に一回は帰るようにしています。


そのたびに不思議に感じているのですが…、


日本に戻ると、ここLumbini(ルンビニ)で自分がしていること、
考えていることの6割も行動に移せないんです。


Lumbini(ルンビニ)を訪れた日本人に話すことと同じことを、
日本で日本人に話しても、通じにくいと言うか…。


あるいは、日本で行動を起こそうとする時、空気抵抗がものすごく感じるというか…。


あれは、いったいどこから来るんだろうと思います」


「修業とは何か、という問いですが…、一般で思われている修業と、私の言う修業は、
少し違うかもしれません。日本山妙法寺では、他人に給仕することを、とても大事な
修業と考えています。それは相手のお世話をすることです。


そして、出家して2年ぐらいは、陰徳を積むことが奨励されます。
それは、目立たずに、相手に尽くすと言うことです。
もちろん、法要などのやり方を学ぶことも大事です。


以上を修業と考えると、最低3年間は必要でしょうか。


但し、修業とは常に続くものです。
太鼓を叩き、念仏を唱え、地域や村を回りながら、お題目を広めていくこと。
これも大事な修行です。


私としては、修業の目的とは、自分の“我”からいかに離れることができるか、
“我見”を断つことができるか、そして、相手にいかに尽くすことが出来るかだと
考えています。


ですから、修業は、一生続くのです」


「なぜ、太鼓を叩くのか、ですか?


人間はだれもが仏性を持っているとお釈迦様は説いておられます。
仏性とは、誰のうちにもある、小さな小さな宝石のようなものです。


ところが、それは人が持っている欲望、妄想などで深く埋もれてしまっている。


太鼓を叩くとは、ノミの力で、仏性の周りにこびりついているそれらの欲望を
削り落とす行為に似ています。


それの作業は、今生で終わるかもしれませんし、来世に持ち越しになるかもしれません」


「日本山妙法寺の人材、ですか?


それは大きな問題です。日本山妙法寺では、若い僧侶の数が減っています。
世襲制もとっていませんし…、出家者の数自体が減っているのです。
最近では、私のいるlumbini(ルンビニ)で2名、インドで1名、
出家者が出たぐらいじゃないでしょうか。


いま私は、Lumbini(ルンビニ)以外に、Pokhara(ポカラ)の住職も兼ねていますが、
住職がいないことによって起こる問題や事故と言うのもたくさんあります。


寺院を竈に例えれば、僧侶は竈の火です。火が灯ってこその竈です。


僧侶のいない寺院には、熱がなく、信者さんも離れてしまいます。
仏の教えも、それを語る僧侶の体温を通して、広がっていくものなのだと
思います」


佐藤上人は、僕より1歳年下の41歳だ。
僕たちは、いろいろ話をした。いろいろ書いたけど、もっとたくさん語り合った。


でも、


僕が彼から一番学んだことは、どうも上手く言葉に表現できない。


佐藤上人は、考えていることと、口にすることと、行動することが、限りなく一直線で結ばれている人だ。
本人も言うように口べタで消して多くを語らない。とても静かな人なのだけど、命をかけて、自分の道を
進んでいる。俗世のしがらみを断ち切り、より大きなもののために、生きようとしている。


同世代の、こういう人と、このタイミングで、ここLumbini(ルンンビ)で
知り合えたことを嬉しく思う。

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コメント

ネパールルんビニ編ありがたく拝見いたしました。私は仏教に好奇心のある67才の婆です。ルんビニには2回.ポカラには3回一人で行きました。ルんビニは仏舎利塔建立中とⅠ年後落慶式です。予定のホテルが寺から遠く危機感もあって寺に転がり込み3泊4日手伝いの真似ごとと夕方のお勤め時の大太鼓を打たせてもらいました。あの塔に竹竿で足場が頂上まで組まれ落下防止策はありませんでした。その風景から畏敬の念と神仏が作業しているのを目の当たりに見てる様でした。何かがひしひしと伝わってきて、気楽な旅の私に
日々感動を与えてくれました。佐藤上人には昨年スリランカの巡礼中にもあいましたし、御修行についてもれ伺っております、女の私が僧に聞くこも来出来ずあなた様のウエブでの深い御考察も
含め鳥肌がたちました。蛇行していた気持ちを首根っこつかまれて本道へ戻してくれました。私も他道場で蝋八接心断食経験もあり,ますが。自分の意思を越えたところのコントロールは絶えず感じますがなぜか私には理解できません。感応同交?だいたいネパールに英語もはなせず行き方も判らないのにルんビニへ行ってしまったのですから。ともかく今日は感動でした。


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