2012年5月19日 (土)

世界最南端の町、Usuaia(ウシュアイア)へ

僕は、23歳のマリさん、22歳のユウタくんと一緒に飛行場に向かために、
朝9時に33番のバスに乗る。


向かうのは、Argentina(アルゼンチン)に来た時の国際空港ではなく、
国内線の発着するAeroparque Jorge Newbery(ホルヘ・ニューベリー空港)だ。


朝のラッシュ時間の中、バスは45分ぐらいで空港に到着した。


「ここが空港だよ」と教えてくれたバスの運転手に、“Gracious!!!”と
大きな声でお礼を言って、バスを飛び降りる。


空港の前にあるバス停のすぐ前は、La Plata(ラプラタ)川だった。
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飛行機の時間は、11時40分。僕たちはチェックインを済ませると
2階のカフェで、軽く朝食を取りながらいろいろ話をした。


2人とも、アメリカのSan Diego(サンディエゴ)のカレッジを卒業したばかりだ。
Mexico(メキシコ)からChile(チリ)、Argentina(アルゼンチン)と南下してきて、
南米の旅の後は、ヨーロッパに向かうそうだ。


マリさんは福岡県出身、ユウタくんは青森県の出身だ。
とても礼儀正しく、素直な2人だ。


留学時代の楽しかったこと、苦労したこと、頑張ったこと、将来のこと…。
いろいろ話してくれた。彼らの話を通して、僕は自分の留学時代を振り返る。


San Francisco(サンフランシスコ)の日々が懐かしく思い出されて、
まだ2年もたっていないのに、すべてが遠い昔のような気がした。


彼らの留学していた場所は、メキシコ国境に近い。クラスメートが30人いたとすると、
15人はメキシコ人かメキシコ系アメリカ人、12名が白人系のアメリカ人、残りの3人ぐらいが
アジアからの留学生ということで、黒人はほとんどいなかったそうだ。


同じCalifornia(カリフォルニア)州でも街によって人口構成ががらりと変わる。
アメリカと言う国は、本当に多様性に富む国だと思う。


僕は、San Diego(サンディエゴ)が大好きな彼らの話を聞きながら、
世界の国々の表面に触れてきた今、もう一度、アメリカを、San Francisco(サンフランシスコ)を
訪れたらいったい何を感じるのだろうと、アメリカに飛ぶ8月を待ち遠しく思った。


Ushuaia(ウシュアイア)までの飛行時間は、3時間半だ。


飛行機の中で、小さくなっていく景色を見ながら、雲に隠れていく景色を見ながら、
僕は、人生のバランスについて考える。


夢と現実、仕事と家族、お金と幸せ、精神世界とビジネス社会、
日本と世界、あるいは…、お肉と野菜でもいい。


小さな範囲でバランスを取るのではなく、目一杯両極に広くレンジを取った中で、
自分なりの究極のバランスポイントを見つけ、その均衡の中を生きていく。


大きなバランスを取りながら、一瞬一瞬を生きる生き方…。
そう頭の中で考えているのだけど、体の奥の方では、違う声も聞こえる。


人生の日々の瞬間においてバランスが取れていると言うのではなく、
人生をトータルで見たときにバランスを取る生き方もあるんじゃないのか、と。


ある時期は勉強に、ある時期は仕事に、ある時期は旅に、ある時期は趣味に、打ち込む。
その時々は、バランスを崩した打ち込み方だったかもしれないけど、長い目で見れば、
いろいろな方向に引っ張り合って、全体としてバランスが取れている、そんな生き方…。


3年間の留学と約2年間に及ぶ旅。日本の社会を離れて、トータルで5年間、
ある方向に人生の振り子を思い切り振った。


今度は、逆方向に人生の振り子を思いっきり振りたい気も…、している。


でも、留学と旅の前は、仕事に人生の振り子を思いっきり振ってきたし…、
この振り子のパターンは、これまでの人生でずっと繰り返してきたことのようにも思う。


空港には、予定より30分ほど遅れて、午後4時に到着した。
その瞬間から、ずいぶんと寒かった。


僕たちは、タクシーに乗って街まで向かう。
2人が住所を控えてきた街中の宿に向かった。


アルゼンチン人の老夫妻が経営している宿だ。
スペイン語しか話せない2人だけど、とても温かい。


僕たちは、荷物を置いて、早速、Ushuaia(ウシュアイア)の港まで散歩に出かけた。


Ushuaia(ウシュアイア)の海と港は、演歌がとても似合いそうな気がした。
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旅らしい旅を、してみたい

昨日、坂本龍一のコンサートを聞きながら、ようやくと出発する腹積もりが固まった。


僕は、午前中に、寒さ対策のためにそれ用のジャケットと手袋をアウトドアショップで購入した。
今の時期の南パタゴニア経験者の話を総合すると、どうも、いま持っているジャケットでは、
不十分のようなのだ。日本円で1万2千円ぐらいの投資をした。


もう一つ、宿に、同じくUshuaia(ウシュアイア)に向かうアメリカのカレッジを卒業したばかりの
2人組がいたこともきっかけになったかもしれない。


宿では、あまり話をする機会はなかったのだけど、とても爽やかな2人で好感が持てた。


彼らも飛行機で向かうことを考えていて、午後、一緒に窓口にチケットを買いに行った。
出発は、明日の水曜日だ。


今さらだけど、Argentina(アルゼンチン)の物価は高い。


お肉は安いけど、それ以外は結構高い。飛行機のチケットも高かった。
国内の移動なのに3万円ほどした。ちなみに、バスで40時間以上かけて
Ushuaia(ウシュアイア)に行くこともできるのだけど、その値段は、飛行機と左程変わらなかった。


僕は、いよいよ南アメリカ最南端の町に行き、South Africa(南アフリカ)の喜望峰から
送った自分の声を受け取りに行く。


その後は、南パタゴニアをChili(チリ)側とArgentina(アルゼンチン)側を
行ったり来たりしながら北上し、再び、Buenos Aires(ブエノスアイレス)に戻り、
Paraguai(パラグアイ)を目指す。Brazil(ブラジル)のビザを取るためだ。


そして、Argentina(アルゼンチン)側からイグアスの滝を見て、
Brazil(ブラジル)のRio De Janeiro(リオデジャネイロ)を目指す。


その後は、チリを目指すか、ペルーを目指すか、未定だ。


いずれにしても、南米での3カ月間は長いようで短い。
南米の次は、北米、オセアニアと言うことを考えると、発展途上国の旅は
ほとんど南米が最後になる。


旅らしい旅を、してみたい。


さあ、11泊したBuenos Aires(ブエノスアイレス)を離れて、
僕は再び旅を前に進める。

なぜ、Buenos Aires(ブエノスアイレス)を動けないのか

Buenos Aires(ブエノスアイレス)も既に10日目の月曜日だ。
本当は、こんなに長くいる予定ではなかった。


早く次に進まなくてはと思うのだけど、どうしても腰が重い。


何故だろう。朝からそんなことを考える。


宿の居心地、宿の人たちの感じがとても良かったこともあるかもしれない。
日本人宿は、実は、多少敬遠していたところがあったのだけど、Jordan(ヨルダン)で
知り合った自転車で世界を周っている男性から、「南米の日本人宿は、他の地域のそれと違って
良いですよ。TJさんにも、是非体験して欲しいです」と言われたその通りだった。


この宿が特別なのかもしれないけど、みんな、柔らかくルールを守って、
協力し合いながら良い空間を作っていた。


Luciano(ルチアーノ)とSole(ソレ)という仲の良いローカルな友だちが出来たことも
あるのかもしれない。彼らのおかげもあって、僕はとても楽しく充実した時間を
Buenos Aires(ブエノスアイレス)で過ごさせてもらっている。


僕は、今の予定だとArgentina(アルゼンチン)を南下して、Chilie(チリ)サイドを北上し、
再び、Buenos Aires(ブエノスアイレス)に戻ってくる予定なのだけど、
「その時は、僕たちの家に泊りなよ。費用だって安く住むし、大歓迎だよ。そして、
戻ってきたら、仲間たちと一緒にサッカーをしよう」そう言ってくれた。


あるいは、何かやり残していることがあるのだろうか。


いろいろ考えてみる。


そうこう考えているうちに、もしかしたら、これが最大の理由だったのかもしれない、
というものに行きついた。


それは…、


アフリカの旅の疲労感。


僕は、アフリカの旅における3ヶ月間のテント暮らしと移動の日々に、
実はかなり疲れていたのかもしれない。何のルーティンもない変化の連続の生活に、
体の芯のところで疲労を感じていたのかもしれない。


今この宿で、僕は、買い物に行き、顔を覚えてもらったふたつのお店で定期的に野菜と
果物を買っている。そして、宿では、お米を炊き、少なくとも朝食と夕食は自分で
作って食べている。


そんな久しぶりの、ちょっとした“生活”を思い出させてくれる時間が、
楽しかったのかもしれない。


そんなことをリビングで考えていたら、宿泊者のTさんから声をかけられた。


「いま坂本龍一がBuenos Aires(ブエノスアイレス)に来ているんです。今晩、
彼のコンサートがあるんです。もしよかったら、
チケットを買って一緒に行きませんか?」


Tさんは、30歳。東京の葛飾出身で、北海道の旭川に長く住んでいた。
線は細いのだけど、黒々とした髪とひげを長く蓄えていて、とても個性的な雰囲気を醸し出している。


会話がとても柔らかくて、笑いながら誰にでも合わせていく。
何でも適当に合わせているみたいなのだけど、その柔らかさの中に、ほんの少しだけ
自分らしさを醸し出したりする。


相手に気を使わせない、不思議な人だ。


facebookのアドレスを交換したら、モットーに、こんなことが書いてあった。


あさくふわふわ
ふかくふわふわ
日々ふわふわしています


それを読んだ時、思わず笑ってしまった。
そのぐらいに、Tさんはそんな感じだ。


僕たちは、日中に一番安いチケットを購入して、夜、宿から徒歩で会場に向かった。
コンサートはArgentina(アルゼンチン)らしく夜9時のスタートだ。


日本人がたくさん来ているのかな、と思っていたのだけど、そんなことはなく、
大半がアルゼンチン人だった。


坂本龍一のピアノと、それに合わせて音を作り込む人の2人が舞台にいる。
正面のスクリーンには、ピアノの音に合わせて、映像が映し出される。
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僕の知っている曲は、「戦場のメリークリスマス」の音楽だけだったけど、
多くの曲に、たくさんの“間”があった。


使う楽器は西洋のものであっても、その曲たちには、日本的な“間”が溢れていた。


彼の曲をArgentina(アルゼンチン)で聞くことで、そして、このコンサートにおける
彼の選曲を通して、世界で活躍する“日本人”坂本龍一がその曲に取り込んだであろう
彼の考える“日本”が少し見えたような気がした。
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Juan Roman Riquelme(フアン・ロマン・リケルメ)

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スタジアムには既に長蛇の列が出来ている。スタジアムの中からは、既に太鼓を叩く音と
大歓声が聞こえる。


僕とLuciano(ルチアーノ)が座るのは、地元の人しか買うことのできない前方のシートだ。
入場の際のトラブルや面倒くさいことを避けるために、係員に尋ねられても何も答えるな、
と言われた。Luciano(ルチアーノ)が全部やり取りをするから、ということだった。


3か所あった入場チェックを無事に済ませ、スタジアムの中に入る。


Sole(ソレ)は、別の友だちと一緒に観戦すると言うことで、2階席に行った。
僕とLuciano(ルチアーノ)の2名が1階席だ。


眩しい照明がピッチを照らしている。大歓声で歌が合唱されている。
水色と黄色のフラッグが、右に左に大きく揺れている。


既に盛り上がっている人たちの間をすり抜け、席を探す。


僕たちの席は、前から8列目でずいぶんピッチに近かった。
当然、Boca Juniors(ボカジュニアーズ)側の席で、周囲の人たちは右手を上下に振り、
応援歌を歌っている。すごい盛り上がりだ。
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実は、僕はプロのサッカーの試合を観に行くのは初めてだったかもしれない。
それが、ここArgentina(アルゼンチン)で、それもBoca Juniors(ボカジュニアーズ)の
優勝争いの大事な一戦だったとは、本当に、ラッキーだったし、ありがたいことだ。


熱烈なサッカーファン、Boca Juniors(ボカジュニアーズ)のファンと言うわけでもない僕が、
350ペソも払ってこの試合を観に来た大きな理由のひとつが、Riwuelme(リケルメ)だ。


背負うナンバーは、Boca Juniors(ボカジュニアーズ)の10番。
マラドーナの背負っていたナンバーだ。


走らない、守備の意識が無い、ボールを持ちすぎる。
現代サッカーの正反対を行くようなスタイルなのだけど…、彼の全ての技術は超一流だ。


彼のそれらの“欠点”をカバーし、彼の卓越した“長所”を最大限に活かすために、
そのチームは必然的に彼を中心に動かざるを得なくなる。


その彼の“欠点”というか、個性的なスタイルを受け入れ、彼を中心に据えたチームは、
リケルメ色に強さを発揮する。


そういうチーム作りが、監督の好みに合うか合わないかによって、
彼は輝いたり、まったく輝かなかったりする。代表チームに呼ばれたり呼ばれなかったりする。


とにかく、クラシカルなプレースタイルの個性的な選手なのだ。


僕は、その彼のプレーを実際に観てみたかった。
本当にそうなのかどうか、確かめたった。


Boca Juniors(ボカジュニアーズ) vs. Veles(べレス)。
リーグ1位と2位の対戦だ。
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いよいよ試合開始のホイッスルが鳴った。


僕は、背番号10番を目で追う。


彼は…、


本当にゆっくり歩いていた。


自陣営が攻められていようがどうしようが、“けっして”走らない。
ピッチの真ん中あたりを歩いている。


でも、そんな彼にボールは集められ、彼はボールを長くキープし、
敵の選手に囲まれながら…、


卓越したパスを出す。時には長く、時には短く。


一つ思ったのだけど、彼は、自分は走らないけど、味方選手をよく走らせる。
とても視野が広くて、どこに観方の選手がいるか、敵の選手がいるか、
全てが分かっていて、誰もいないところにパスを出し、味方選手を走らせる。


それが繋がる場合もあるし、味方の選手が追い付かず、繋がらない場合もある。


いずれにしても、彼がパスを出した時、そのボールの描く線によって、
敵陣営が切り裂かれていくようにも見える。


ここで、僕のいつもの習慣が始まる。


僕は彼のサッカースタイルからいったい何を学ぶことができるだろう、ということだ。


言うまでもなく、サッカーのボールは、コミュニケーションで言う言葉だ。


言葉のパスを出しながら、時に、自分でドリブルをして、あるいは、誰かのアシストをして、
アシストとはこの場合、誰かの言葉や周囲の声を借りたりして、その場を演出し、一番伝えたい
メッセージを相手の“理解の枠”に蹴り入れる。


特に、英語でのコミュニケション力を向上させたいと思っている僕にとって、
彼のプレーは、参考になるメタファーに溢れていた。


彼のプレーからいろいろ伝わってきたのだけど、一つだけ書くと、
それはゆっくりコミュニケーションすればいいんだ、ということだった。


常に意見を求められる英語での会話は特にそうだ。
僕などは、英語でも、日本語と同じスピードで話そうとする癖がまだ抜けずに、
そのせいで苦労していると言えるかもしれない。


そうでなくていい。


ネイティブが早口で話しかけてきたって、早口で合わせなくたっていい。


そういう会話の“流れ”“ペース”に巻き込まれず、言葉のパスをもらったら、
そのボールをしっかりキープして、周囲と相手の心理的な位置を押さえた上で、
自分のパスを出せばいい。


「自分のパスを出す」とは、こう言うことかもしれない。


ボールを受けたら、自分の中に、借り物では無い自分の本当のボール、つまり言葉を探しに降りていく。
間ができるかもしれない。それでもいい。そして、自分の中に見つけた言葉を、
時に相手の受け取りやすい場所に、時に予想もつかない場所にパスをする。
それによって、会話がクリエイティブな方向に展開していく。


それが、サッカーで言う、美しい奇跡を描く芸術的なパス、
ということなんじゃないか。


それによって会話のテンポは遅くなるかもしれないけど、
速いパス回しだけが、会話じゃない。


サッカーのファンタジスタのように、僕はコミュニケーションのファンタジスタを目指したい。
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2012年5月18日 (金)

Boca Juniors(ボカジュニアーズ)の試合を観に

Luciano(ルチアーノ)と再会した5日前に、彼から言われていたことがある。


「今週末、Boca Juniors(ボカジュニアーズ)の試合があるんだ。
リーグ戦も終盤で1位、2位を争うVeres(ヴェレス)との対戦さ。


事実上の決勝戦なんだ。


僕はチケットを一枚だけ持っているんだけど、もう一枚手に入らないかどうか
知り合いに画策中でね。Sole(ソレ)も行きたがっているんだけど、もし、
2枚手に入るようなら、一緒に行かないかい?」


南米屈指の名門チーム、且つ、Argentina(アルゼンチン)の人気ナンバーワンチームと
言うこともあり、地元の人々にとってもチケットを取るのは至難の技だそうだ。


というのも、クラブメンバーでは無い限り、チケットが手に入らない仕組みになっているのだ。


そのメンバーズカードは、利権と化していて、祖父の代から孫の代に引き継がれていて、
ほとんど市場に出回らない。だから、人々は、ツテをたどってクラブメンバーを探しだし、
そこからチケットを手に入れることになる。


もちろん、市場に出回っているチケットをショップで手に入れることもできるけど、
それは、ものすごい高値になっている。


僕は、Boca Juniors(ボカジュニアーズ)についてよく知らなかったし、
興味はなかったのだけど、このチームに所属しているある選手に興味があった。
Riquelme(リケルメ)だ。


33歳の彼は、世界最高のテクニックを持つ1人だ。
個性的で強烈なプレースタイルを持ち、それが良くも悪くも、彼のサッカー人生に
大きな浮き沈みをもたらしている。


もし今回の観戦が実現すれば、それは、僕にとって彼のプレーを直接見ることのできる
最初で最後の貴重な機会となるかもしれなかった。


「ぜひ」と即答した。


Luciano(ルチアーノ)は、方々のツテをたどって、そのチケットを金曜日の夜に手に入れてくれた。
前から8列目の席だ。グランドにものすごく近い。


費用は、350ペソ。7000円ぐらい。
マーケットで買うと、この倍の値段はすると宿の仲間たちに言われた。


いずれにしても、僕のために、こんなに苦労してチケットを手に入れてくれた
Luciano(ルチアーノ)に感謝だ。


ちなみに、Boca Juniors(ボカジュニアーズ)の大ファンである彼でさえ、
Boca Juniors Studium(ボカジュニアーズスタジアム)に試合を観に行くのは、
6年ぶりだそうだ。一緒に行く彼のガールフレンドのSole(ソレ)に至っては、
初めてとのことだった。


僕とLuciano(ルチアーノ)は、この日、お昼に待ち合わせをして“Feria De Mataderos”と
呼ばれる日曜市に出かけた。


それは、Buenos Aires(ブエノスアイレス)の西端にあるMataderos(メタデロス)地区で
催される日曜市で、Luciano(ルチアーノ)の生まれ育った場所でもある。


市の中心から離れている地区ということもあって、観光客のほどんどいない、
地元の人々による地元の人々のための、とても大きな市場だ。
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僕たちは、農家の手づくりワインを一本買って、肉を包んだパイを一緒に食べた。


ダンスや歌の生演奏もある。地元の人たちが飛び込みでダンスを踊っている。
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Luciano(ルチアーノ)は、適当に周囲を見回すと、1人の女性に声をかけて
その踊りの輪の中に加わった。
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とても素敵な市場だった。


その後、僕たちはSole(ソレ)を彼女の実家まで迎えに行った。
彼女の家族にも紹介された。


そして、僕たちはLuciano(ルチアーノ)の家に戻って、マテ茶を飲んで一休みする。
ここから24番のバスに乗って、Boca Juniors Studium(ボカジュニアーズスタジアム)に向かうのだ。


キックオフは、夜7時半だ。
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ケチャップ強盗…、未遂

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土曜日、今日のBuenos Aires(ブエノスアイレス)も快晴だ。


僕は、2つの美術館を巡った。
National Museum of Fine Arts(国立美術館)とBuenos Aires Latin American Art Museumだ。


Luciano(ルチアーノ)と、Caminito(カミニート)で絵を売っていたRicardo(リカルド)が
アートに興味があるなら是非と勧めてくれていたのだ。


特に、National Museum of Fine Arts(国立美術館)は無料で、素晴らしい作品が
数多く展示されており、かなりお勧めだと思った。


でも今回書くのは、それらの両美術館のことでは無くて、その2つの美術館を移動する間の道で
僕に起こったことだ。


それは、


ケチャップ強盗。


聞いたことのある人もいるかもしれない。


Buenos Aires(ブエノスアイレス)では、ポピュラーな盗みの手口だそうだ。


誰かが後ろからケチャップ、ペンキのようなものを後ろからかける。
大抵は、本人に気付かれないように。それをグルのメンバーが、親切を装って近づいてくる。
大抵は複数だ。


「あっ、どうしましたか?カバンにたくさん汚れが付いていますよ。
さあ、これを使って。一緒に、拭いて上げます」


ナプキンを取りだして拭いてくれる。本人がありがたく思って、カバンを降ろした時が、
相手にとってのチャンスだ。


あっと言う間に、そのカバンを持って消え去ってしまう。
なかなか見事な手口だそうだ。


僕は、その手口を宿泊者から聞いていた。


「TJさん、もしケチャップ強盗に出会ったら、相手にせずに直ぐにその場を離れることです。
それが一番安全です」


まさか、自分が遭遇するとは思っていなかったけど、
実際にそれが起こった時は、ピンときた。


最初、僕は手にしていたカメラのカバーに、白い液体が付いていることに気がついた。


「あれ、どうしたんだろう?」


何か、シチューのような、ドレッシングのような匂いがした。


何も食べてないはずなのに…。誰か、食べている人に溢されたのかな。
でも、ここは人通りもあまりないし。


変だな。


そう思って立ち止り、それを拭き始めたら、後ろから女性の声がした。


「あら、どうしましたか?後ろにもたくさん付いていますよ」


振り向くと、男女の2人組だった。


背負ったデイバックを見ると、確かに、しぶきのようにたくさんの白い液体がついている。


「あらあら、これで拭いて」


彼女は、ナプキンの束を取り出す。


何でこの人、こんに都合よくナプキンの束を持っているんだろう…。


最初に思った疑問だ。


「さあ、拭いてあげるから、バックを下に置いて」


僕の小さなデイバックを拭くのに、どうして下に降ろす必要があるのだろう…。
次に思った疑問だ。


これは…、ケチャップ強盗だ。


僕は、デイバックを降ろさずに、一応お礼を伝えて、
「もっとナプキンを頂けませんか?」と尋ねた。


その人は、たくさんのナプキンを持っていた。


僕は、デイバックに触れようとする彼らの手を遮って言う。


「自分で拭くから結構です。ナプキンをどうもありがとう。」


そう言って、その場を離れた。


2人は、最初は、「どうして、どうして」と食い下がろうとしたものの、
直ぐに諦めた。


その場を離れた僕は、デイバックを拭きながら彼らを見る。


彼らは、僕の方を見ている。


すると…、


道路わきに立った彼らをすぐに車が迎えに来て、そして、走り去った。


成功しても、失敗しても、捕まらないように速やかにその場を去る。
すぐに次の獲物を探しに行く。


逃げる手配も完璧になされた上での犯行なのだと思った。


僕はデイバックとジーンズに付いた汚れを拭う。
シミになっていて落ちないけど、洗濯すれば問題ない。


不思議と怒りは湧いてこなかった。


ただ、どのタイミングでかけられたんだろう、やるな。
そんな感想だけが残った。


僕は、そのまま美術館を巡った。


宿に帰って来てから、一応、宿の管理人、Oさんに報告する。


すると彼はこんなことを言った。


「それは災難でした。ケチャップをかけられることは、彼らは無差別に行いますから
それは避けようがないんです。欧米人でもアジア人でも、1人でも2人連れでも、
体格が大きかろうと小さかろうと、同じ目に会っています。
気にされないように。


でも、液体をかけられて物を取られる人とそうでない人には
大きな差があるんです。


そして、物を取られる人は、いろいろな手口で何度もそう言う目に会います。
やっぱり、直しようのない隙があるんだと思うんです。」


僕は、ケチャップをかけられたこと自体、自分に隙があったんじゃないかと
考えていたのだけど、どうやら、そうではないらしい。


よし、今度はもっともっと注意深く歩こう。そして、ケチャップをかけられる前に、
その相手を見つけることができたら…。


管理人Oさんは、僕が考えていることを見据えていたかのように付けくわえた。


「仮にですが、ケチャップをかけた人を現行犯で見たとしても、何もしない方がいいです。
仮にその人をつかまえたところで、TJさんに何もいいことはありません。
周囲に仲間がいるだろうし、危険な目に会うかもしれません。


とにかく、すぐにその場を離れることです。


そもそも、そう言う悪さを働く人は、ここBuenos Aires(ブエノスアイレス)には何十人、
いや何百人もいるんです。残念なことですが。1人捕まえたところで、何も変わらないんです」


確かに、その通りなのかもしれない。


ある出来事に対する真に賢い対応とは、いったいどう言うことを指すのだろう。
そのことについて考えるとき、それはなかなか哲学的な問いになっているような気がする。
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2012年5月17日 (木)

23時からのパーティ

今日は金曜日だ。Buenos Aires(ブエノスアイレス)に来てから1週間が過ぎようとしている。


午前中、アフリカ編のブログのアップロードに取り組んでいると、ここのところ
よくあるように、Luciano(ルチアーノ)からチャットのメッセージが入る。


「今日の夜、友だちの家でAsado(アサド)をやりたいと思うんだ。
来ないかい?」


「もちろん!」


僕は即答する。


「ところで、Asado(アサド)って何だい?」


「アルゼンチン風の肉バーベキューさ」


「それはいいね、楽しみだ。じゃあ、何時にどこへ行けばいいか教えてよ」


「もちろん。じゃあ、夜10時にBラインのMalabia(マラビア)の駅で」


そんなやり取りをした。


それにしても、夜10時の待ち合わせとは…、
ずいぶん遅いような気もする。


晩ご飯を一緒に食べると言う理解でいいんだろうか。
はてなマークが、頭の上にたくさん並んだ。


Argentina(アルゼンチン)生活の長い宿の管理人さんに尋ねると、
ここではそれが普通だと言う。


夜、地下鉄に乗って待ち合わせ場所に向かう。


移動の地下鉄車両の中では、ちょっとしたライブショーが催されれていた。


ミュージシャンが、車両を順番に回ってきて音楽を演奏するのだ。
当たり外れはあるのだろうけど、2人組の彼らの歌と演奏は、とても素晴らしかった。
僕は彼らの帽子にお金を放り込む。
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待ち合わせ場所の駅には少し早目に着いた。


今日はとても冷え込む。僕は、近くのマクドナルドに入って、ホットコーヒーを飲みながら
時間をつぶす。


Luciano(ルチアーノ)とSole(ソレ)の乗った車が迎えに来た。
僕たちは、Luciano(ルチアーノ)の友人の家のある、Belgrane(ベルグラーネ)地区に向かった。


僕たちが到着すると、先に到着していたLuise(ルイス)と、
家主のAle(アレ)が歓待してくれた。


20分ぐらいすると、更に2名がやってきた。


僕たちは、ワインで乾杯し、サラミとチーズをつまみながら楽しむ。
実際にチョリソを焼き始めたのは夜11時半近くで、チョリソを挟んで食べ始めたのは
深夜12時だった。
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仕事が終わっての金曜日は、こうやって、夜10時過ぎに仲間の家に集まって肉を焼いて、
Asado(アサド)をしながら、リラックスした時間を楽しむ。


Argentina(アルゼンチン)の「幸せの方程式」らしい。


僕たちは、チョリソを挟んだパンを食べ、ワインを飲みながらいろいろな話をした。


Peru(ペルー)の旅から帰ってきたばかりの、
僕の隣に座っていたMaria(マリア)が言った。


「旅ってね、とても素敵だと思うの。自分の幸せって何かを教えてくれるから。


私にとっての幸せって何かって?


特別なことじゃないいわ。本当に些細なことなの。


ボーイフレンドがいて、友だちがいて、両親の近くにアパートを借りて住むことが出来て…。


そういう“当たり前”と思っていることに感謝できるようになることが、幸せなんじゃないかしら。


そして、旅って、“当たり前”と思って些細なたことが、実はそうじゃなくて、
とても素晴らしいことなんだって、気付かせてくれるから素敵だと思うの」


その通りだ。


しっとりと落ち着いたAsado Party(アサドパーティ)だった。


Argentina(アルゼンチン)とそこに住む人々…。


ラテン系のテンションの高いノリノリの人が住む国かと思っていたけど、
僕の限られたこれまでの印象だと、けっしてそんなことはなくて…、


もっと地に足のついていて、光だけの部分だけでは無くて、
陰影の部分をも愛することのできる情緒の深い人々の住む国のように思う。


そう、まさにタンゴのメロディのように。
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La Plata(ラ・プラタ)川と空

今日、午前中はブログのアップに取り組み、午後は、気分転換に再開発エリアの
Puerto Madero(プエルト・マデーロ)地区とその東にある自然保護区の公園に散歩に行った。
周囲が8kmほどの公園だ。


Puerto Madero(プエルト・マデーロ)地区には、Boca(ボカ)港に代わる新しい港がある。
レンガ造りの倉庫跡には、レストランやカフェ、オフィスや大学が入っていて、
オシャレなエリアになっている。
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Buenos Aires(ブエノスアイレス)には、本当にいろいろな顔がある。


僕は、ドック沿いの歩道をそのまま歩いて橋を渡り、公園に向かった。


入り口でフリーマップをもらい、木々の生い茂る公園の奥側にある川を目指して、
更に歩く。


この公園の目の前には、La Plata(ラ・プラタ)川が広がっている。
対岸を見ることができない、とても大きな川だ。


僕は、川を一望できる場所にあるベンチに腰かけて、La Plata(ラ・プラタ)川と向き合う。
水面の上を向こう側から吹いてくる風が、とても気持ちいい。


茶色い水面とその上に広がる青い空と分厚い雲の間を、白いボートが走っていく。
かなりの時間がたって、ボートの起こした波が岸にたどり着く。
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更にしばらくすると、僕の頭の上を白い機体が横切っていった。
それ以外は、とても静かな公園だった。
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この公園は、地元の人たちの憩いの場所でもある。
恋人同士が川岸に座っている。
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国や文化や宗教が違っても、僕は訪れたほとんどすべての国で
同じような光景を見てきた。


人間は、当然のことながら、一人ひとりが違っていて…、


でも、その日々の営みはとても似ているんだよなあと思う。


さあ、またブログアップの続きに取り組まないといけない。
僕は、帰り道と反対側のドック沿いを歩いて、宿に戻る。


ベンチが並ぶ道沿いに、鳩が2羽、仲良く座っていた。


Buenos Aires(ブエノスアイレス)は、“2人”が良く似合う街だと思う。
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アフリカ編のブログをアップしながら

僕は、このBuenos Aires(ブエノスアイレス)で絶対に完了させなければ
行けないことがある。


それは…、


アフリカの旅を完了させること、つまり、アフリカ編のブログをアップし終えることだ。


アフリカでは、インターネット状況が芳しくなかったことと、
キャンプ生活と移動と集団行動で、書いた日記を整理し、まとめ、
アップする時間がなかなかとれなかったのだ。


アフリカの体験が完了しないまま、南米の旅が始まってしまって、
ずっと大きな気がかりになっているのだ。


今日、丸一日、それに費やした。


アフリカで、毎日、日記はパソコンに打ち込んでいた。
それを読み返し、編集し、撮りためていた写真をデータから取り出し、
眺めながらアップしていく。


僕は、自分のこれまでのブログの内容を読み返してないのだけど、
つまり、その時間も無かったからなのだけど、今回、アフリカ編をアップするために
かなりの日数の日記を遡って読み返していて、思ったことがある。


ずいぶん、忘れているんだなと。
自分が体験した、感じたいろいろを…。


そのことに、とにかく驚いた。


もちろん、文章を読めば、写真を見れば、いろいろをありありと想い出す。


時々、書くことを負担に感じることもあるブログだけど、
自分にとっての書くことの意義を再確認したような気がした。


同時に、ちょっと変に聞えるかも知れないけど、
自分が過去に書いた文章を読むことで、その当時の自分から何かを学んでいるような、
そんな奇妙な感じもした。


旅が深まる旅に、旅自体に関する考え方や感じ方も変わってくる。
今のタイミングで最初の旅の場所、中国を訪れていたら、また違った感想を持つに違いない。


この旅の終盤のあるタイミングで、自分の旅のブログを、その時の自分の感覚と照らし合わせながら
批判的に読み返して、振り返ってみたい。


そして、留学時代からを含めて、この旅で体験してきたことのエッセンスを
あるテーマでまとめて出版してみたい。


そんなことを考えている。


今日一日頑張ったのだけど、ブログのアップは終わらなかった。


夕御飯は、皆で“シェア飯”をしようと宿のご夫妻が提案をしてくれた。


お金を出しあって食材を買って、料理をして、皆で食べようと言う
「日本人宿」ならではの文化だ。


Argentina(アルゼンチン)らしい大きなお肉とチョリソの、
安くて、豪快で、しかも美味しい夕食だった。


素敵な体験をどうもありがとうございます。
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3カ月ぶりの再会

今日の夕方、僕はLuciano(ルチアーノ)とSole(ソレ)と再会する予定だ。


アルゼンチン人のカップルの2人とは、Egypt(エジプト)のLuxor(ルクソール)の宿が
同じだった。会社の休暇で2週間ほどエジプトを旅していた。


僕は彼らと何か一緒にしたというわけじゃない。
ロビーで挨拶をして僕から話しかけた。


自己紹介をして、ほんの少し、立ち話程度にお互いの旅について話をしただけだ。
とても感じの良い2人で、もっと時間があったら良い友達になれそうな気がした。


「Argentina(アルゼンチン)に来たら是非連絡をしてよ」


「うん、その時はぜひ」


そう言って、facebook(フェイスブック)のアドレスを交換して、別れたのだ。


以後も、Luciano(ルチアーノ)facebookを通して何度かメッセージをくれて、
今日、再会の約束をしたのだった。


午前中、僕はBoca(ボカ)地区にあるCaminito(カミニート)に出かけた。
それは、僕の泊っている宿からの隣の地区にある。


Boca(ボカ)は、ヨーロッパからの移民が最初に訪れた港のある地区であり、
同時に、そこはタンゴ発祥の地でもある。


宿の主人から、Boca(ボカ)は治安的に少し問題がある地区だと聞いた。
でも、日中なら問題ないだろうと聞いて、僕は、大通りを歩いて行くことにした。


30分ぐらいでCaminito(カミニート)に着いた。


石畳の道沿いにパステルカラーの家々が並んでいる。
紅葉が終わりに差し掛かった木々の間に、絵を売るスタンドが並んでいる。


僕はベンチに腰掛ける。


「僕は今、Buenos Aires(ブエノスアイレス)にいる…」


何度か呟いてみた。


実は、こういうことをよくやる。僕は、地図の上でしか知らなかった、
地球の裏側の街にいるんだ、ということを少しでも実感するために。


僕は、秋の日差しに包まれながら、今この瞬間を感じる。
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リラックスしていると、犬が近寄ってきた。
頭をなでてやると、僕の座っているベンチの前に座った。


いい時間だった。
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夕方、僕は地下鉄に乗ってLuciano(ルチアーノ)とSole(ソレ)との待ち合わせ場所の
Plaza Cortazarに向かう。Palermo(パレルモ)地区にある公園だ。円形で、
その周囲をBar(バー)に囲まれている小さな公園だった。


ちなみに、Palermo(パレルモ)地区は、Boca(ボカ)地区とは正反対の
高級ショッピングエリアだ。


待ち合わせの時間は6時半。少し早目に到着した僕は、公園に座りながら刻々と暮れて行く
秋の時間を楽しんだ。時間より少し遅れて、2人は現れた。


3カ月ぶりの再会だ。


「本当に会えたね!!!嬉しいよ!!!」


僕たちは、右側の頬を合わせてキスをするアルゼンチン流の挨拶を交わす。


そして、Luciano(ルチアーノ)行きつけのバーに行き、ビールで乾杯し、
その後、彼らお勧めのレストランに食事に行った。


僕たちの間に、共有している体験があるわけじゃない。
積もる話があるわけでもない。


アルゼンチン人の彼らと日本人の僕が、たまたまEgypt(エジプト)の
Luxor(ルクソール)で、宿が一日、重なっただけだ。


出会いと縁の不思議さを思う。
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